俳句に興味を持った事はありますか?
ほとんどの方が、学校の教科書やテレビなど、一度はどこかで俳句を見たり聞いたりした事があるのではないでしょうか。
そんな俳句ですが、先日、友人とおしゃべりしていて、そういえば恋の俳句って少ないよね~という話題になりました。
たしかに昔の有名な俳句には恋を題材にしたものはほとんどありません。
17音では語りつくせないのかもしれませんね。
でも最近は、言葉のリズムをうまく活かして短い句の中に恋心を込めたり、激しい言葉で恋をうたい上げたものも作られています。
そこで今回は、恋のうたで有名な俳句をご紹介します♪
恋の俳句.1 三橋鷹女(みつはし たかじょ)
鞦韆は 漕ぐべし愛は 奪ふべし
意味:ブランコは高く高く漕げ、愛は待ってないで激しく奪いにいけ
「鞦韆」は「しゅうせん」「ふらここ」の読み方があり、「ブランコ」のことです。
この句を作った時の鷹女は50歳を超えていましたが、個性のはっきりした激情型の人だったようですね^^
恋の俳句.2 黛まどか(まゆずみ まどか)
会ひたくて 逢ひたくて踏む 薄氷
意味:会いたくて逢いたくてしかたないのに、会いに行けない人がいました。早春、水たまりに張った薄い氷を靴先で戯れに踏みながら、会いたいという思いを持て余すばかり。好きになれば、その想いのまま、何のためらいもなく会いに行ける人もいるのでしょうが、私には、どうしても会いに行く勇気が持てず、その薄氷の手前でとどまったまま。
これは作者の自解で、春先にうっすらと張った氷のように、ほんの少しの衝撃にもすぐに壊れてしまいそうな繊細な想い。恋にとても傷付きやすくなっていた頃の一句です
別の著書ではその逢いたい人は妹分との事ですので、男女の恋ではなさそうですね。
恋の俳句.3 橋本多佳子(はしもと たかこ)
雪はげし 抱かれて息の つまりしこと
意味:激しく吹雪く雪を見ていると、(今は亡き夫に)息が詰まるほど激しく抱かれたことが思い出される
作者は38歳の時に夫に先立たれ、「月光に いのち死にゆく ひとと寝る」「夫恋へば 吾に死ねよと 青葉木菟」のように追慕の情を表現した句が多くあります。
ただ、この句には「雪が激しく降っているのに、(あなたが)いきなり抱くので息が詰まって困った」と、男を軽くあしらう本来の意味があるという証言もあるようです。
恋の俳句.4 桂信子(かつら のぶこ)
ゆるやかに 着てひとと逢ふ 蛍の夜
意味:蛍の綺麗な夜に、わざとゆるゆるに着物を着て(男の)人と会う
着物は襟もとを開けないようにきつく合わせて着ると、若い娘や身持ちの固い女性の雰囲気になりますし、襟をゆったりと合わせて帯を少し下目に巻くと色っぽく見えるのは、時代劇でもよく見られます。
作者は、あえてきっちりと着ないことで相手の男性に心を許していることを伝えています。
恋の俳句.5 松本恭子(まつもと きょうこ)
恋ふたつ レモンはうまく 切れません
意味:2つの恋の間で悩んでいる私には、青春の象徴であるレモンがうまく切れません
初恋はレモンの味がするとか、レモンのような彼女というと清潔感あふれる純真な女性を意味するとか、レモンを持ち出すだけで純情一途な感じがするわけですが、作者は2つの恋の間で行ったり来たりしている自分はそのレモンがうまく切れないと言っています。
きっぱりと決めかねている女心をあらわしているような句ですね^^
恋の俳句.6 大高翔(おおたか しょう)
逢ふことも 過失のひとつ 薄暑光(はくしょこう)
意味:(好きな人に)逢うことそのものが、してはならない事のように初夏の光の中で思う
逢ってはいけない人と逢う不倫の句のようにも見えますが、どんな恋愛でも逢えば必ず未来には離別か死別か別れが待っているのだから、逢うこと自体が過失のように思われるという激しい恋心の句です。
恋の俳句.7 山﨑十生(やまざき じゅっせい)
ゆふべ背に 立てたる爪で 蜜柑剥く
意味:(恋人が)昨夜(いとなみの時に)私の背中に爪をたてた。今はその爪でみかんを剥いている
2011年に刊行された『恋句』(破殻書房)に収められている句ですが、この句集には「この上も なく薄氷の 恋激し」、「はんたうの 恋は片恋 霏霏と雪」、「ばーちゃるな 恋こそ恋ぞ 雪催」と恋の句ばかりが収められています。
あとがきに「普遍的な恋を俳句形式で脚色しただけのこと」とあり、恋というテーマを自在に操って作句しているのがわかります。
恋の俳句.8 池田澄子(いけだ すみこ)
脱ぎたての 彼の上着を 膝の上
意味:脱いだばかりの恋人の上着を私は膝の上に置いている
ただそれだけですが、愛する人の身体の温もりが感じられる上着というのは十分になまめかしく、抑えた叙情がほのぼのとみずみずしい一句ですね♪
恋の俳句.9 杉田久女(すぎた ひさじょ)
枯野路に 影かさなりて 別れけり
意味:冬枯れの野を恋人と歩いていて、影が重なるようにぴったりとくっついたけれども、その後別れて帰って来た
枯野というシチュエーションが、デートの後の何とも言えない寂しさを感じさせてくれますね。
恋の俳句.10 高浜虚子(たかはま きょし)
虹たちて 忽ち君の 在る如し
意味:虹が出て、たちまちにまるで君がこの場にいるような感じになった
一般に短歌や俳句で「君」というと恋人をさしますから、虹の橋を渡って恋人が来たようだとか、虹にたとえられるように美しい恋人がここにいるようだ、と鑑賞します。
ただ、作句の背景から、遠方の女弟子にあてた一種の贈答句であることがわかっています。
もっとも、当時70代の虚子の心のうちに女弟子に対する恋心があったかどうかは、推しはかるしかありませんね。
さいごに
恋のうたで有名な俳句をご紹介しました♪
俳句は季語を使って叙景が中心ですから、恋の句はあまり多くはありません。
というよりも、叙景の句の中に恋心が忍ばせてあることがよくあります。
選んだ句の中にも「影かさなりて」という、相手が恋人かどうかわからない情景がありますが、全体から寂しさを感じとれれば、別れが寂しい相手だから恋の相手かな~と読み取れますよね^^
たった17音に込められた想いをどう解釈するのか、知れば知るほど面白く、奥が深い俳句。
ぜひ今回ご紹介した俳句の中から、お気に入りの恋のうたを見つけて下さいね♪
ご自身で俳句を作ろうかな、と思われたらこちらもどうぞ^^
俳句の作り方!中学生向け!夏の季語もご紹介♪